アップサイクルって?

アップサイクルの思い出

中学生の頃、自転車に乗って母と二人で近所の買い物に行く道中に、時々大きなゴミ袋が置かれていました。家庭ごみではなく会社のような工場のような建物の前にごみとして出された感じで、置かれているのも朝ではなく夕方だったので、よく目につきました。しょっちゅう通る道なのでいつも、何だろうと気になり、中身はとても色鮮やかに見えました。布のような、糸のような感じで。ある日、人気のいなくなった夜に、その中身をあけてみたら、中は太い糸がぎっしり詰まっていました。どうも、建物は緞帳の工場のようで、緞帳を織った残りの糸が時々捨てられていることがわかりました。

母はそれで何か作れると思いたち、ある日家へ持ち帰ることにしたのです。もう時効だとお許しいただきたいのですが、ゴミをお持ち帰ることも、犯罪になるというのは、子供心にはわかりませんでした。ただ、人目を避けてこっそり急いで持ち帰った記憶はあります。母は少し罪悪感はあったのでしょう。ただ、背に腹はかえらない状況だったのだと思います。それを材料にして、何かを作って売ろうとしていたのですから。

母が思い付いたのは、それを楕円形に編んで、マットを作ることでした。色は豊富で糸も丈夫で、玄関マットやキッチンマットにはピッタリの素材でした。なにしろ、それが無料で手に入るのですから最高です。当時母がパートをしていたお店が百貨店の中にあり、その中に小さなリサイクルショップがありました。その太いカラフルな糸をかぎ針で編み、手作りのマットレスをリサイクルショップで確か500円程度で販売してもらいました。それが、良く売れたのです。頑丈で何度洗濯しても型崩れしない手作りマットレス。リサイクルショップの店員さんまで買ってくれていました。しかも材料費は無料です。手間暇はかかりましたが、夜な夜な母と一緒に編みました。材料がなくなれば、自転車に乗って仕入れに行けば良いわけです。

その工場があったおかげで、その売り上げは食費になり、家計の足しになりました。その後、リサイクルショップだけでなく、フリーマーケットに出品したりと、随分その糸のお世話になりました。当時からよくフリーマーケットにも他に手作りのものを作って、出品して、またこれも一度出品すれば数万円の利益になり、家計の足しになっていました。食費稼ぐために必死で作って売ってました。後々考えてみれば、こっそり持ち帰ることなく、その工場に事情を話せば、きっと譲ってくれただろうにと思いましたが。

もちろん、当時はアップサイクルという言葉も存在していなかったでしょう。もう、今から40年ほど前に話しなので。知らず知らずのうちにアップサイクルを実践し、持続可能な社会に貢献していました。